母とお菓子をつくった思い出
「最初は料理ではなくて、お菓子づくりの道に進みたかったんです」
そう語る箱田茉実(はこだまみ)は、2003年にジョルジュマルソー・グループに入社し、11年の間に様々な業務を経験しました。2024年10月には、デフィ ジョルジュマルソーのシェフに就任。その原点は、幼い日のお菓子づくりでした。
箱田シェフの出身は熊本県。両親が共働きだったこともあり、幼いころから簡単な料理をつくっていたそうです。いまも記憶に残っているのが、母といっしょにお菓子をつくったこと。台所で母と肩を並べてつくったお菓子の味は、その後の箱田シェフの歩みに大きな影響を与えます。
高校3年のとき、進路に迷った箱田シェフに、母は調理学校への進学を勧めます。お菓子を勉強したいという気持ちがあった箱田シェフは、母の助言にしたがって福岡市で調理を学ぶことになります。
ワーキングホリデーでフランスへ
調理学校在学中は、ホテルに居酒屋、イタリア料理店と、いろいろな飲食店でアルバイトをしました。そんなアルバイト先の一つで出会ったフランス料理に、箱田シェフは衝撃を受けます。
「ほかの料理と比べて、一皿に込める想いの重さが違うんです。盛り付けも繊細で見たことのないような美しさだし、実際に食べてみると、自分の引き出しにはないおいしさ。料理であれほど感動したのは、初めてでした」
この経験を経て、料理の道にまっしぐら・・・・・・とはいかないのが箱田シェフの人生。調理学校の最終学年、またもや進路に悩みます。そんな彼女の前に現れたのが、フランスで料理店を構えている日本人シェフ。調理学校に講師として招かれていたのです。いつしか、そのシェフのブログをチェックするようになり、ある日見つけたのが、シェフが経営するフランスのレストランの求人募集でした。
そこで一念発起。箱田シェフは、ワーキングホリデーを利用してフランスに渡ります。フランスの料理店では、店内の掃除をしたりと雑用が中心。「シェフにマカロンのつくり方を教えてもらいました」とうれしそうに語る通り、まだ、興味の中心はフランス料理ではなくお菓子でした。 フランスでの1年間はあっという間に過ぎ去り、日本に帰国することに。今度こそは身の振り方を決めなければなりません。
挫折の先に見つけたものは?
一旦はレストランに就職したものの、肌が合わずすぐに退職。このとき、箱田シェフは人生で初めての挫折を味わいます。
「料理関連はもうあきらめようと思って、ほかの仕事についても調べました。でも、お菓子や料理にしか興味がもてなくて」
結局、縁あって彼女はジョルジュマルソーに入社します。最初の2、3年はホールを担当。厨房には入れず、遠くから”いいなぁ”と眺めていたそうです。その後、晴れて厨房に入り、料理の腕を磨くと同時に、だんだんとそのおもしろさにも目覚めていきます。そして、レストラン ジョルジュマルソーのスーシェフ(副料理長)を経て、入社12年目にして、ついにデフィ ジョルジュマルソーのシェフの座に。
「私はグイグイいくタイプじゃないので、厨房に入ったときも、スーシェフに昇進したときも、自分から働きかけたわけではなくて、流れでそうなったんです。でも、デフィのシェフには自分から手を上げました。レストランのシェフは、人生でもいましかできない経験だと思って。失敗してもいいから、挑戦しようと決めたんです」
一度はあきらめかけた料理の道で、箱田シェフは新たな夢を描きはじめています。では、彼女にとって、この仕事の魅力はどんなところにあるのでしょう?
「私はレストランという場所が大好きなんです。料理はもちろんですが、サービスも含めてトータルでお客様に満足していただけるのが、レストランの魅力だと思います。この仕事は本当に忙しくて、クタクタになります。でも、達成感がすごくある。いろいろと苦労も多いけど、その後に必ず笑える。デフィも、仕事を通じてスタッフの心が満たされ、”ここで働いてよかった”と思える場所になることを目指しています」
そう話す箱田シェフの眼差しは、まっすぐと未来へと向けられています。
箱田シェフのもと、新しいステージを迎えたデフィ ジョルジュマルソーに、ぜひご期待ください。